所詮塾なんですよ

10連休明け。
久々に出社して、たまっていた郵送物を大量に見ていたところ、いろんな学校からの案内や情報誌が来ていて、仕事モードに頭を戻していました。

来年からリニューアルした学校の記事を見ましたが、結局は進学校化、またある学校は、以前は低い偏差値だったのに今や大学進学実績を打ち出し、やっぱり進学校化。今や都内には中堅・下位層を拾ってくれる私立が激減。とすると、都立へいかに入れるかという話になってきますので、受験指導はなかなか苦労します。

私達も偉そうに教育を語ってみたりしていますが、自分のことは自分でよくわかっているつもりです。
私達なんて、所詮塾なんです。卑下でも何でもなく。

塾で生徒に教えられることなんて本当に限られているし、関われる時間も少ない。
そもそも、普通の塾が教えていることなんて、どうしたら点が取れるかというテクニックであって、およそ教育なんて呼べるような本質的なものではないわけで、塾自体、受験さえ終われば二度と行きたくない場所であるのでしょう。

でも、最近は学校がその塾に相当「寄せて」来ています。
いかにMARCH以上の大学に入れるか、いかにセンター試験で高得点を取らせるか、いかに国公立の合格実績を並べるか。結局、学校で「答案指導」を始めちゃってるわけです。

じゃ、誰が教育を担うんですかね?
じゃ、誰が出来ない子を救うんですかね?
何だか、最近、そこを塾が始めちゃってる気がするのです。
学校の先生に、「あなたはそんなことを教えたいがために教壇に立っているのではないでしょう?」と問いたくなります。

今、地方の学校への進学が注目され始めました。
私が少しだけ関わっている島根県への高校留学なんかもその一つ。隠岐島前高校なんかは典型ですね。そもそも、隠岐に行って、どこの大学に入れるかなんて考えないわけで、何を学び、どう考えるかが非常に重要な学習になっていきます。本来教育が担う部分って、そういうところだったような気がします。

受験のために勉強してんじゃないんだよ、と塾が教える矛盾。
先日桜学舎で開催した「大学入試説明会」では、生徒たちに「塾や予備校の言うことを真に受けるなよ」とも、なんとも自己矛盾したことを言いました(笑)

私は、教育に関しては学校の先生には敵わないと思っています。
なぜなら、先生は教育のプロだから。
でも、進路指導や受験指導のプロになる必要はない。
だって予備校業者じゃないんだから。
予備校や塾を利用してやるのは別にいいとしても、予備校や塾になっちゃいかんでしょう。

そういう意味で、私の出た明治学院高校の教育は正しかったと、私自身思うし、今でも、送り込んだ何人もの教え子達も皆そこだけは同意してくれます。

当時。
進路指導なんてなーんにもない。
自分で考えろ。
そんなの学校の仕事じゃねーよ。
そういう方針でしたし、いちいちうるさいことも言わない、生徒も管理しない、とにかく自由にさせる。そして自分で考えさせる。
悩みは聞いてやる(笑)
ホントに「見守る」ことが上手な学校でした。
そして、進学した教え子たちが見事に同じことを言い、いまだに明学の話で盛りがれるのはおもしろいなぁと。

私の頃の明学の先生は、やっぱり教育のプロだったんだろうなぁと改めて思うわけです。少なくとも私の2年時の担任だった恩師はそうでした。
あの先生がいなかったら、私は完全に潰れていました。
先生の言葉で何度も救われました。
私は、その先生の「トレース」をしているところもあるんだろうと思います。

先生、ちょっと亡くなるのが早かったなぁと思います。お礼も遺影の前にしか申し上げられなかったのが今だに心残り。会いたい時に会いに行くことがこんなにも大切なことかと思いましたし、本当に残念。今だからこそ、本当に先生のお話を聞きたかったと、心から思います。

今日も1件。そして学校の悩みが出てきた子のお母さんが、まず塾長に相談をといらっしゃいました。ご兄弟のご相談のお電話も頂きました。本当に有り難いことです。

僅かな生徒しかいない小さな街の塾屋のオッサンが教育を語ることに、自分自身違和感を感じながらも、でもやっぱり、そうあらねばならないと思いながら、5月も頑張っていこうと思います。

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