チョーク一本

私の父は教員でした。
最後まで教壇に立ち、教頭にも校長にもならずに、最後まで進路指導主任みたいな立場で終わったようです。進路にはちょっと実績があったようで、公立高校を退職してから75歳まで私立で教壇に立ち続けました。いい先生だったのかどうなのかは知りません。でも、父の教員生活を間近で見続けてきたので、教員の世界も少し垣間見て生きてきました。

若かりし頃は生意気にも父の生き方には自分をオーバーラップさせることができず、わがまま放題生きてきました。おかげで苦労もしたし、相当な親不孝もしましたが、今は88歳で健在でいてくれることに感謝しています。

私の中学校に、山田先生という社会の先生がいました。この先生は、手ぶらで授業に来ることで有名でした。前の生徒のノートをみて、どこまでやったっけ?と確認して、次の授業に入っていきます。持ってくるのはチョークだけ。他の生徒はどうだか知りませんが、私は痺れました。

先生が顧問の「社会化クラブ」に入って地図模型作成を習いました。いまだに等高線に沿って作り上げていく地形図の地図模型作成のスキルは、しっかりと生きています。塾にも私が作った地図模型があります。取り出すと、毎回興味津々の小学生の目がたまらないものです。

「チョーク一本で授業が出来る先生は相当の実力者だ」
と父が言っていたのを思い出し、憧れの先生となったのです。すごかったなぁと思います。

チョーク一本といえば、以前代々木ゼミナールなどへ出講していた日本史の菅野先生。
「立体パネル」という独特の年表形式の日本史ノートを1時間半の授業で黒板いっぱいに書き上げてぴったり授業が終わるという職人技。しかも、年々情報が更新されていく神業。しかも手ぶら。ということは頭に全部それが入っているという証拠ですよね。凄い努力だと思います。

このチョーク一本のインパクト。すごいパフォーマンスだと思います。 で、私も昔、これを使わせてもらっていたことがあります。

学生時代から「国語」の先生として過ごしてきたのですが(今やすっかり算数の先生ですが!)、新学年、新年度、初回の授業には毎回テキストを持たず、手ぶらで出かけていました。前半は受験勉強のガイダンスをし、何をどうやるかの話。後半は文法の勉強からスタートしたものです。

黒板(ホワイトボード)に、品詞分類表と動詞の活用表をいっぱいに書きながら、説明が終わるとチャイムがなるというペースで生徒の心を掴んでいたことが何年もありました。もちろん、菅野先生のように年間を通じて手ぶらで授業なんて出来ないのですが、それでもインパクトのある手ぶら授業は、いくつか持ちネタがあります。

すっかり個別指導の塾として定着しつつある桜学舎ですが、実はゼミの授業も受験生には存在していて、そっちの方が少し楽しく勉強できたりします。教え漏れも少ないかと思います。ゼミはゼミで良いところがあるので、今後、少しゼミも伸ばしていきたいなぁと思っているところです。 

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