自分が出来ることと、教えることは全く違う

自分が出来ることと、人に教えるということは全く別物です。
しかし、意外に分かっていそうで、実は世間では分かってないことが多いのかなぁ…と思うこともあります。

「東大生に習っても東大には行けない」

これは業界の常識。
なぜなら、東大生の多くは、一流進学校の出身。中学入試では大手の進学塾で低学年のうちからバリバリ鍛えられてきて、中高は皆勉強が出来る子ばかりがいる環境。そして、その中を勝ち抜いてさらに東大に入ってきたのですから、エリート中のエリートなのでしょう。出来るのが「デフォルト」なんですね。

そんな東大生は、本当に出来ない子の気持ちは分からないのです。
「どうしてわからないの?」
という疑問が真っ先に出てくるわけです。
「だって、こうにしかならないじゃん!」
こういう説明になってしまうのですね。どこで躓いてしまうのか、どう間違えてしまうのか、どうしたら正解になるのか、そういうことがなかなか説明できず、
「どう考えても、こうにしかならなくね?」
と言ってしまうことがあるのです。桜学舎にも過去何人もの東大生講師がいましたが、こういうシーンを見かけることがありました。もちろん出来る子には大変いいのですが、出来ない子、躓いている子には東大生講師は向かない気がします。(現在東大生講師はおりません)

逆に、勉強で苦労した子の方が良い先生になります。
それはもちろん、分からない子の気持ちがわかり、どうして分からないかが理解できるからです。自分が受験勉強で苦労した子ほど、苦労する子の気持ちが分かるというものです。そして、どうその苦境から脱すればいいかを知っているのです。だから、「共感」もできるし、「指導」もできる。いい先生になってくれるのは、このタイプです。

天才に習っても天才にはならないのと同じ。
故に、我々がなれるのは、努力だけで到達できる「秀才」しかありません。
秀才を目指して頑張れ!

ですから、友達のことを、「あいつは頭がいいから…」などというのは大変失礼な事です。でもよく聞く言葉ですよね。「あいつは別格」みたいなことを言う子は多いものです。しかし、その彼はあなたの見えないところで、何倍も何十倍も努力してんだよ!と言いたくなります。

勉強で苦労した人間ほど、教える人間になって欲しいと思います。どうも最近、先生となる人が「苦労人」ではないように感じます。先生まで分からないこの気持ちを理解できなくなっているのではないでしょうか?

苦労人よ、是非桜学舎で講師を!

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