無駄なこと

89011827.jpg  教室のミニチリトリが足りなくなり、買ってきたものがこんなカワイイものでした。なんともかわいらしいものなのですが、これがよく落ちます… やっぱり100円の限界なのでしょうかね(笑)

 桜学舎では使い終わった机の上に消しゴムのカスを残していくことを許していません。しつけというよりもマナー。誰かが掃除してくれるだろう…ではなく、次の人が気持ちよく使えるようにというマナーです。

 たとえ勉強が出来なくても、こういうところが出来る人間は必ず尊敬されます。逆も真なり。勉強だけが出来る人間ほど社会にとって無駄な人材はありません。

 無駄と言えば、最近、「省エネで生きるな」と生徒を叱ったことが何度かあります。「無駄を排除する」といえば聞こえはいいのですが、裏返せば「最低限のことしかやりません」ということであり、「+αの部分は不必要である」と言っているとも言えます。そうか?と疑問を呈しました。

 何でそんな話になったかと言うと、「これは覚えなきゃいけませんか」「どこまで覚えたらいいですか」「覚えるものと覚えないものの基準を教えてください」などという質問が多く来たからです。それは最低限のことしかしたくないということでしょ? いつまでも「内容」に触れずにテクニックだけで効率的に「処理」だけをしようとしても、もうその域は超えている子ですから、もうゴリ押しの勉強だけでは限界。一皮むけないのは、その内容を考えないから。そんな話をしました。

 無駄を排除して、効率的な勉強をするというと、実に素晴らしい学習法のように思われますが、実は、本当の意味での「ゆとり」の部分の学習が一切欠如します。余分なものだと思われるような「幅広い知識」が、アカデミックな部分で学習や生活を豊かにするのは明らかです。

 合理的で、必要最低限のことしかしない人間は、例えば音楽も聴きませんし、TVも見ず、インターネットも必要としません。死にませんから。せいぜい、嫌々仕事をして、生きるのに最低限のスペースを確保できるアパートに暮らし、最低限の食事をして生きています。

 面白いですか? 生きていて。

 こんな話もしました。
 1食1万円のフルコースと、ファーストフードの牛丼。どちらも食べてしまえば同じウンコ(失礼!)になってしまう。1万円のフルコースの方が吸収が良かったり、1回食べれば1週間食べなくても平気… なんてこともないし、その逆も無い。じゃ、ずっと牛丼を食べればいいでしょ?と。生きることだけ、最低限のことだけでいいなら、それでいいわけです。

 しかし、それは面白いですかね? 「そんなことしなくても生きていける」「そこまでやらなくてもいい」という部分に、実は「面白み」が含まれているのです。必要最低限の部分や基礎の部分には、全くと言っていいほど面白さは含まれていません。だから、いつまでも「基礎」ばかりやっていたり、なるべく楽をしようとして最低限のことばかりをやっている人は、永久に物事の面白さも体感できません。

 一瞬、無駄なのじゃないか? そう思える部分にこそ、そのものの本質と「面白さ」という旨み成分が含まれています。 その部分に触れることが出来るまで、しっかりと基礎を築き上げることはもちろん重要ですが、だからといって内容に全く興味を示さなかったり、意味を読み取ろうとしなかったりする人に成長はありません。学習と言うものの本質をしっかりととらえきって欲しいと切に願います。

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