先生なんて誰でも出来る

GWのお休み中に、久々に千葉の時代に仲良くさせて頂いていた塾長仲間の先生にお会いしました。というか、我が家に来ました(笑)昼過ぎから来て、ずーっと話し込んで夜までいたので、一体何時間話していたのか。積もる話もこれだけあるとスゴイなと思うくらい。

出会って最初の頃はともかく、妻と同年代の彼女は、そのうち私にとっては「姉」みたいな存在になり、ほぼ何でも言える様になってきました。姉なのに間抜けなところもあって、でも私なんかより全然洞察が鋭いところもあって、とにかくいくら話をしていても飽きない面白い人。

そんな彼女が言った一言がとても印象出来でした。

「先生なんて誰でも出来る」

え?
専門職だと思っていた先生職。でも、彼女は「誰でも出来る仕事」だと一刀両断(笑)
どうしてそう思うの?と聞くと、その理由は、

「既に答えがわかっていることを教えるだけなんだから」

というものでした。なるほどなぁ。

答えのわからないことを探し求めていくのが人生。
社会に出たら、「正解」なんて無くて、予め用意されている正解を提示できたことを褒めてもらえる仕事など殆どありません。答えのない仕事の中から最適解を探しあて、成果を出していかないと仕事にならない。これは会社員だろうと経営者だろうと同じことだと思います。営業職なんてその最たるもので、先輩の固定のお客さんを引き継いだから安心だと思っていても、自分が上手く出来なければその既存のお客さんが離れて行ってしまう。いくら他人が作った実績を踏襲し、同じことをやったとしても、それが最適解であるかなんて全然わからないし、むしろダメなことがほとんど。

答えが分かっていることを教えて、誰が教えても同じ様になることを教えて、それで仕事になる「教師」なんて誰でも出来る仕事だというのが彼女の言いたいことでした。だから甘いと。それはもちろん自戒も込めての話なので、先生全般をdisった話ではありませんよ。

ただ、そういう自覚を持って、教師って自分に厳しくあるべきだよねって、そういう意図で言ったのだと思います。そしてそれは恐らく間違ってないのだと私は思います。

会社経営とて全く同じこと。
子育てだって全く同じこと。
正解がない。だから難しい。教師だった我が父は、こんなドラ息子しか育てられなかったわけですし(笑)、専門家だからってすべてが上手く行くわけでもない。そんな正解のない世界に子どもたちを送り出すのが「教育」の世界です。だからこそ、既存の知識をどれだけ脳みそに蓄積できるかという競争を過度に行って、そこで優劣をつけたところで、知識偏重の、その運用能力を欠いた人間を作り出しても、社会で活躍できる人材にはなりませんし、自分で考えていく人にはならないのでしょうね。

かく言う私も、迷ってばかりです。
果たしてこれは自分のやりたいことなのか。自分がすべきことなのか。自分に与えられたミッションなのか。残り半分を切ったであろう人生をかけて、何を成し遂げるべきなのか。何を最優先に考えるべきなのか。考えねばならないことは山程ありますが、何一つとして「結論」は出ていません。ゆえにずっと自分の「最適解」を探して生きています。

今朝も朝10時から帝国ホテルの会議室で打ち合わせ。
会社経営についてのレクチャーをある先生から受け、今までの自分の甘さや見通しの希望的観測すぎる部分、そして一体オマエは何をしたいのだ?というところを深く深く突っ込まれてきました。厳しい。厳しいけれども、実に爽快。自分に足りない部分を更に補うことは、より強くなることなので重要。

ずーっと勉強。人生勉強が続きます。
「先生と言われるほどの馬鹿でなし」
です。職業柄先生と言われますが、まだまだ勉強の足りない人間です。そりゃ「塾で教える」「塾を運営する」プロではあるけれども、やっぱり足りない部分は多々。特に実務的なところが。

一番苦手なところに向き合わざるを得ない場面に遭遇するたびに、生徒には「好きなことだけで生きていけると思ったら大間違いだぞ!」と言いたくなるものです(笑) 

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