「勉強力」の重要性

週刊東洋経済のこの記事、

http://toyokeizai.net/articles/-/149043?display=b

がいつまで掲載されるかわかりませんが、「勉強力の重要性」というのは、もう10年も前から桜学舎がずーーっと言い続けて来ていることです。

その昔、ある高校生親子が来て、個別指導の説明を聞いていた時に、「演習の時間を確保している」という話をした時に、

「塾に来て、自習させられても、ねぇ?」

と怪訝な顔をしていました。結局その方はしばらく来なかったのですが、実は、また来たんです。そしてまたもう一度体験したいと言って体験し、説明ももう一度受けて、それでもやっぱり、同じことを言いました。

「塾で自分で問題を解く時間は無駄だ」

って。結局入会されませんでした。
その子は決して成績がいい訳じゃないのです。むしろ困っている子。でも、

「塾にお金を払う」=「先生を80分働かせること」

という捉え方しかしていなかった訳ですね。その80分間でスキルを身につけ、自分の能力を上げるという意義を全くとらえておらず、その方にとっての80分の時間とお金の対価は、先生にしっかり働いてもらって、80分ぶんの労働を受け取るということだったのでしょう。まぁ、そういう価値観も認めなくはないのですが、桜学舎の価値観とは対極をなすものだと思います。もちろんご入会いただかなかったのも正解だと思います。相当昔の話ですが、強烈に覚えている事例の一つです。

子供に身につけるべき力は、「問題解決能力」であって、「学習能力」であります。
学科の勉強のみならず、大人になって「学習能力」がない人間はとにかくバカにされます。一度の失敗は認められますが、その後の学習能力の差はその人の資質として測られますよね。

教科学習やテストについても、何度も同じことを繰り返し指摘され、成長がないことを叱られる子がいますが、毎回同じことで叱られる子と、違う点を指摘されている子では、同じ「成績が良くない子」でも成長度合いが全然違います。前者は全然成長できない子、後者は毎回叱られているようで、実は着実に成長している子です。ですから、私たちは後者の子は努力を認めています。

そもそも、記事中に出て来る「底辺校」=「教育困難校」というのも良く考えたらひどい話で、そこに集う子を、「困難な子」にしたのは誰なのかという問題。そういう子って、小学校や中学校で、誰かが止められたはずなんですよ。大人が。教育困難校に入って困難な子になったわけじゃないはずなんです。困難な子が集って、その学校が教育困難校になったはず。

小さい頃に、学習能力を身につけさせたり、学習についての理屈をしっかり諭し、躾けておくことが重要なのに、妙に「消費者意識」ばかり高くなって、冒頭に出て来た「先生を働かせることが塾にお金を払う価値」みたいなことになっていると、結局本人には何の能力の伸長も見られないなんてことになってしまうように思います。

都立高校の最下方などはみんなこういう「教育困難校」なんて分類をされるのでしょう。私立はさすがにここまで酷くはないでしょうが、地方の私立なんかだと分かりません。でも、私たちも時々、「え?高校生でこれ知らない?」って子には巡り会います。びっくりはしますが、腰は抜かしません。何度も経験しているので。

「アメリカと日本って、戦争なんてしたことないっすよね? 仲良しっすよね?」

って、20年ほど前に高3に質問されて以来、もう何も怖いものはありません(笑)
こういう子は一体どういう学習歴を持っているんだろう?って本当に疑問に思いますが、そうならないように親御さんや子ども達に諭して行くのも私の仕事だと、今は自分に言い聞かせています。 

一時期は学校批判もしたくなった時がありますが、今は学校の先生のご苦労もお察ししてます。大変だろうなぁと。立場は違えど、子どもの本当の成長の「一助」になることを私たちも考えながら教室運営をしていくことを考えています。 

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