授業を受ける力

最近、子ども達に非常に必要だと思うのは、「授業を受ける力」だと感じます。この力がないが故に成績が悪い、そういう子がとても増えているような気がします。

世は、アクティブラーニング全盛になってきました。一時期の「ゆとり教育」「調べ学習」なんかに比べたら格段にいい傾向ではあります。あれは本当に酷かった。何にも知識のない子に「調べろ」「考えろ」で授業が終わっているようなものでしたから、教育論云々はさておき、とにかく子供達の学力は一気に低下しましたし、なにより子供達からの不平不満が酷かった… 授業がわけわかんないという不満は現場でかなり聞いていましたから、あの時期に比べたら今はだいぶいい傾向です。

しかし、学校に限らず、いろいろな場面で「授業を受ける力」、つまり「人の話を聞く力」がかなり低下して来ているのも最近感じています。集団授業がなかなか上手く行かないんですね。聞ける子はものすごく集中して聞ける反面、
「あんた今まで何して来たの?」
って言いたくなるほど人の話が全然聞けない子がいます。人の話を聞く前に自分の話を一生懸命始めてしまうのです。聴衆になれないんですね。

「これこれこういうことがあったんだよ」
なんて話をしようものなら、
「あ!私もね、この前にこう言うことがあってね…」
と話し始める。授業の流れも止めてしまうし、みんなも唖然としているのですが、気づかずに、ほぼ「いいことをしている」という意識で、一人語りを始める子って、ここ数年一人や二人じゃないです。

「お前が話す時間じゃねーんだよ」
と、私なんかはピシャッとやってしまいますし、そこで恥ずかしい思いをして「場違い」を理解する子もいますが、え?学校でも他所でもこんな感じなの?って思ってしまいます。発言することはいいことだ、自己アピールしろっていうのは確かにそうなんですが、もっと大事なのは「TPO」をわきまえること、「空気を読むこと」だと幼い子供にも私は言います。

こんな調子ですから、授業の内容をきちんと集中して聞いていることもないでしょうし、自分が話せないなら隣のことコショコショ話し続けるし、とにかく目の前にあるものを受け入れる力がないんだなぁと思うことが増えました。これは「学力」の問題ではなく、「躾」の問題。

躾というのは叩いたり叱ったりすることで成立するものではなく、基本的には「わきまえさせる」ことで成り立つものです。つまり、「これが正しい」「こうするのが当たり前だ」「出来ないのは恥ずかしいことだ」という価値観を徹底して仕込むことです。よく、躾のためにと称して家庭内暴力から死亡事故が起きたなどという報道がありますが、そのニュースに接するたびに私は、「んなわけないだろ」と思います。躾に暴力は要りません。価値観を徹底して諭すことに暴力の入る余地はありません。

閑話休題。
ということで、今の子は「授業を受ける力」を伸ばさねばいかんという思いが最近は強くあります。実は映像の授業を見せると、その間の集中力はとてつもないものがあります。しかも、映像の中の先生は叱りませんし(笑)、私たちも理解不足の生徒には「もう1回見ろ」で終わりです。 もう一度授業の中から自分の欲しい情報を得ようとするのは、この「授業を受ける力」の養成には役立つのかなぁ?と思っていたりします。

今年はいろいろ実験しています。
授業を映像化してみたり、いろいろなものを映像にして活用しています。子ども達がとにかくどうしたら成長するのか、そこにこだわっていろいろな方法にチャレンジしてみています。 

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