認知的不協和

私の大学での専攻は、一応「心理学」ということになっています。「大衆心理学」というものを学んだことになっているのですが、まぁマスコミ学科ですから、こういうことになるのでしょう。実際、熱心に学んだ感じではありませんので、聞きかじりばかりだとは思いますが…

心理学の用語に、「認知的不協和」という言葉があります。簡単に言うと、不都合な真実を都合よくとらえて自分を納得させるという方法。これにより、自分にとっての心の痛手を防ぐ、ある種の「自己防衛」です。

例えば、よく使われる例は、「私はタバコを吸う」「タバコは健康を害す」という相反する二つの「認知」という話。この矛盾で感じる不快が「認知的不協和」です。もちろん、「タバコを止め」れば、二つの「認知」は「不協和」を起こすことはありませんが、そう簡単には禁煙できない… そこで喫煙者は、「タバコを吸っていたって長寿の人もいる」「ストレスを感じるからタバコを吸うのであって、健康を害する原因はタバコじゃなく、ストレスなんだ」などと、都合の良いように自分を納得させていきます。この「不協和」を解消させようとするのですね。

人間は多かれ少なかれ、こんな認知的不協和を抱えています。「彼女なんて要らない」というのも、「貧乏でも幸せ」「友達なんていない方が気楽だよ」などというのも、ある種の不協和を解消させる「口実」で自分の理想と現実のギャップを埋めてしまっている場合が少なくありません。

さて。この「認知的不協和」は、勉強や受験にも当てはまることです。例えば、「東大に行きたい」「それほど勉強出来ない」という不協和が起こったとき、「別に東大に行きたいとか思わないし…」「大学は東大だけじゃないから…」「自分のやりたいことは東大以外にあると思う…」などという口実を見つけ始める子が大変多いものです。

これほど高い望みでなくとも、「計算が出来ない」「漢字が覚えられない」「社会が苦手」などという子に、「出来ない頭じゃないんだから頑張りなさい」などというと、「私、バカだもん」「出来ない子だもん」「勉強なんて出来なくていいもん!」などと、嘘の口実で自分の心の痛手を緩和する子は少なくありません。

認知的不協和の状況に置かれること自体は決して悪いことではありません。人は必ず「理想と現実」のギャップに悩むものです。問題はここでの対処法です。このギャップで悩んだとき、一度誤った意思決定をしてしまうと、その後はそれを裏付けるための様々なバイアスがかかり、よりそれが強化されいき、後々には修正がほとんどできなくなってしまうものです。

ですから、子どもの場合、この瞬間に大人が与えるアドバイスが大きな影響を与えることは想像に難くありません。「勉強なんて出来なくていいもん!」と開き直られたらどうするのか。よくあるケースは、「お前なんか知らん!」と大人が投げてしまうケース。これはほとんど良い結果を招きません。「いいわけないだろう!」と滔々とお説教、これもほとんど効果がありません。そもそもこの状態では大人の説教など聞く耳を持っていませんから。

経験上、「どうして勉強出来なくてもいいの?」と、原因を掘り下げていくことから始めるのが良いのかと思います。まず前提として、大人の側が「勉強が出来るようになりたい、というのが子どもの本音である」というところを認識しなければいけません。ゆっくり聞いて行けば、子どもは勝手に話し始めます。「こうじゃなきゃダメだ」などと言わないこと。子どもが語ることに耳を傾けることです。そして、「本当にそうなの?」「どうして?」と聞いていくと、ある程度「毒」が出た段階で、子どもはちゃんと正しい道を歩もうと修正し始めるはずです。途中で大人が投げちゃいけないのです。

正直、個人差がありますので特効薬と呼べるものはありません。しかし、子どもは成長するにつれて自分を客観的に見ることが出来るように成長してもらわねばなりません。なぜなら、大人になって甘言に惑わされるような人間になっては困るからです。

「認知的不協和」は子どもの成長のチャンスでもあるのだと思います。

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