約1週間お休みを頂きました。

塾長、約1週間のお休みを頂きました。
「誕生日なんですから、少し休んでくださいよ!」
と社員から言ってもらえていたので、お休みを頂いて骨休めをしようかと思っていました。

が、長年認知症と大腸癌を患っていた義父。そろそろ具合が悪そうだということで、入所していた施設から話があり、ここで会いに行っておこうかということで、あえて予定を入れずにいました。

義父は中学卒業後に三重県の山奥の村から名古屋を通り越して、荒川区の電器店に丁稚奉公に入り、苦労してその後に独立。照明器具を取り扱う商社を立ち上げました。その後、様々なご縁から全国のモービル石油の照明器具を一社独占で取り扱うところまで発展させました。その間、本当様々な苦労を重ねたことでしょう。中学卒業で実業の世界に飛び込みましたから、その点でも本当に大変だったと思います。

一時は台東区の長者番付に載るほどまで会社は大きくなりましたが、夫婦で商売を続けていくことに限界を感じて会社をたたみ、趣味の鮎釣りのために買った伊豆の別荘に引っ込み、晩年を過ごしました。もっとも、苦労を共にした義母と共に余生はゆっくりとと思っていましたが、早くして義母は亡くなり、以降13年は伊豆山中に一人暮らし。本人の苦労も、我々の心配も尽きない日々でした。今の上野桜木教室のMSビルは、義父母の名前のイニシャルから取られたもの。既に妻名義のビルになっていますが、名前はMSを残しています。まぁ、これも一筋縄ではいかない、いろんなことがありましたが(笑)

15日の土曜日は元社員の結婚式で新宿へ。すっかり同窓会気分で多くの教え子たちに会えました。
16日の日曜日はフェスタTOKYOで下町塾長会議の公開収録。一日仕事でした。
17日の月曜日、朝に急いで車で伊豆・修善寺へ。名古屋から義従妹が来てくれることになっていて、修善寺駅で待ち合わせのため急行。合流後は義父が入所している施設へ。

義父はもう物が食べられなくなって2週間とのこと。だいぶ痩せ、だいぶ弱々しくなっていましたが、ベッドで穏やかに寝ていました。この時は枕元で私たち夫婦と義従妹3人がゆっくり話が出来ました。私は「何も心配しなくていい」ということしか言ってなかった気がしますが、義父はこの言葉を待っていたような気がします。

二人がトイレに立った時、私と義父と二人になりました。妻の現状を報告しようと、「今ね、彼女は女優さんなんですよ(舞台のお稽古をしているので)」と言うと、今まで小さく虚ろだった目が倍以上に開き、私の方に顔を向けて、「ええええ?本当なのか?あいつがか!!」というような表情をしました。ビックリ。一生忘れられない、義父の驚愕と喜びの顔でした。

なかなか言いたいことも上手に言えず、言葉足らずなことが多かった義父でしたが、
「お義父さんの言いたいことは、全部オレが通訳しますからね。お義父さんの忖度のプロですからね、オレは!」とも言いましたが、この時は頷いたのです。「分かってくれた!」と思った瞬間でした。

また来るねと部屋を後にし、3人で義父が大好きだった蕎麦屋に立ち寄り、その日は伊豆の家に。

翌日6月18日は私の誕生日。
ところが、伊豆は災害級の大雨でした。生まれて初めて、土砂災害警戒情報の音を聞きました。

これじゃ会いに行けないね…
義父も、「誕生日くらいはゆっくりしろよ」と言ってくれたのかな?なんて思ったのですが、実は伊豆の家は現在雨漏り工事中。とんでもない量の雨漏りがありましたが、それも雨漏りの位置が特定できたので、これを教えてくれたのかな?とも思いました。

夜になって雨は上がり、あちこちで爪痕を残しつつも、我々の周辺は無事でした。
さて。風呂入って、ビールでも飲んで寝ちゃうか!と思ったところに電話が鳴り、家族が呼ばれました。急いで食事だけして施設へ急行。まだ飲んでなかったので行けましたし、大雨も上がったので行けました。

到着した頃にはだいぶ呼吸が厳しくなっていましたが、でもまだ声は聞こえている様子。1時間ほど枕元でお話をして、我々夫婦二人で最期を看取ることが出来ました。夜でしたので、安置所に移動してもらって我々は戻りました。

義弟と妻は翌日から葬儀の手配。私は一旦東京に戻り、大事な、大事な仕事をこなしました。
「給与振り込み」(笑)
これだけはやらないと(笑)
終了後に、身体が相当ぐったりしていたので、マッサージをしてもらい、夕方には新幹線に飛び乗って伊豆へ舞い戻りました。金曜日はお通夜。田舎なので妻と義弟はホールにお泊りして通夜を過ごしました。私は犬の世話に戻ります。土曜日に葬儀。日曜日は皆ぐったりも、あちこちご挨拶やらご報告やら。月曜日に義母の墓参りをして帰京。問題山積、決めること山積です。そして、個人的に抱えている問題もいくつかあり、更には実父母も相当高齢なので心配…

いよいよそういう年齢です。


さて。

亡き義父は、会社をたたみ、実業の世界から引退した後も、どこへ行くのもスーツを着用し、胸には一代で築いた「株式会社美杉」の社章を着けていました。

株式会社美杉の「美杉」とは、義父の故郷・三重県一志郡美杉村(現津市美杉町)の美杉。いつまでも故郷の美杉を忘れないために付けた名前だったのでしょう。私はこの「美杉」の名前を何処かに残せないかと考えてます。

通夜・告別式には、義弟と共に株式会社美杉の社章を着けて臨みました。「本当は、これを着けた社員がズラッと並んで葬儀に出ていた方がよかったんじゃないですかね?」と語りかけましたが、果たしてどうだったのでしょうかね。ただ、私は「オマエもしっかり経営しろよ」と言われた気がしました。

奇しくも、私の誕生日が義父の命日となりました。「ずっと忘れるなよ」「あとは任せたぞ」と言われたように思います。

前述の通り認知症を患い、さらに2年前には大腸癌が発見されるも、頑なに検査と治療を拒み、とにかく自然に任せるということで、一時は東京の施設へ入所までさせましたが、あえなく3日で退所(笑) 引退後の住処である伊豆・修善寺の地を離れることがありませんでした。

最後の4ヶ月は認知症も進み、一人暮らしは無理という地域の皆様の判断・ご協力もあり、施設へ入所しました。これで良かったのだろうか? もっと出来たことは無かったのだろうかと、いろいろ悩みは尽きませんが、その答えはなかなか簡単には出ないでしょうね。

ただ、今回の件で、本当に思います。

親でも友人でも誰でもそうですが、人には会いたい時に会いに行かないと、会えなくなる可能性があるのですね。永遠に「現在」が続くと勘違いしてはいけないのだと痛感します。
私ももう「アラ還」の域。
親、祖父母、親戚。友人も含めて、本当に大切にしないといけないなぁと改めて思いました。

留守中は大変ご迷惑をおかけしました。また、若い社員へのご理解とご協力、本当にありがとうございました。無事送り出してまいりました。

さて。夏期講習や、合宿の準備も遅れております。ここからまた頑張ります!

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