新聞記事を授業で使うことについて

桜学舎では、今、とあるご縁があって、「朝日小学生新聞」を塾で購読しています。
発行元の朝日学生新聞社さんが、我々東京私塾協同組合の協賛会社になって下さり、秋の相談会などにもご協力くださっているからなのですが、そんなご縁から、購読とともに、塾での紙面利用の御許可を頂いて、指導に限っては紙面を塾で自由に利用していいということになっています。

この新聞には、毎週日曜日と水曜日に天声人語の子ども版、「天声こども語」というのが掲載されていて、この文章を専用の「書き写しノート」に書かせることで、子どもたちの国語力・作文力の養成とリテラシー強化にとても効果があると分かりました。今年も行われる朝日学生新聞社主催の「ニュース作文コンクール」にも参加させるべく、夏休み作文講座を開いて、小学生たちにニュース作文を書かせています。(先に東京塾協同組合の作文コンクールもありますので、チャンスは2回あります!)

ですが、朝日…と聞くと、昨今ではちょっと敬遠する方もいらっしゃるようで、「朝日なんですね…」というお声も時々頂きます。なるほど、例の誤報問題が結構皆さんの間には知られていて、大丈夫なんだろうか…というご心配もあるようです。ですので、ちょっと桜学舎の考えを。


子どもの頃から我が家は朝日新聞でした。高校教師だった私の父が、「朝日でないと文章が稚拙でダメだ…」と(笑)、かたくなに朝日でした。でも、その裏には政治的思想はまったくありませんでした。そういうことにほとんど興味の無い父でした。
 
左だとの右だのと、新聞や各メディアがイデオロギーのプロパガンダに使われることを理解し始めてきたのが、私が高校生から大学生。実は私は学生時代、マスコミ志望だったのです。でも、最初の頃の「事件記者」「突撃取材」みたいな憧れとは随分違う世界のようだと分かってきて、徐々にマスコミ志望が萎んでいきました。それでもやっぱり大学卒業の際は朝日新聞とNHKは受けて、NHKは何度か面接で足を運んだんです。結構、火山の噴火とか、戦地とか、取材に行く気満々でした。

そもそも、高校生の時に青木冨貴子の「ライカでグッドバイ」という本を読んで、日本人初のピュリッツァー賞を受賞した戦場カメラマン・沢田教一を知ってからのマスコミ志望だったので、そういう政治的イデオロギーとかはそもそもよく分かってなかったのかも知れません。私は昔も今も「ノンポリ」ですし、超ノンポリ大学出身なもので(笑)

何となくマスコミ志望が萎えて、いつの間にか塾屋になって… それでも大学はマスコミ学科出身なので、マスコミの在り方には一家言あって…(笑) ジャーナリズムとは一体何かっていうことになると、これはどうしてもそういう人間なので、「こうじゃなきゃいかん!」ってのがあるんです。私には。しかも、子どもたちの前で話す商売なので、特定の思想のプロパガンダをしちゃいかんという、教育的な面でも確固たる信念があります。
 
それは、「バランス感覚」です。

別に、左的な考えを教えてもいいと思います。ただ、ならば同時に右的な考えも教える。そして、子どもたちに考えさせる。出てきた答えは否定しない。これが、教える立場の人の最低限のルール、マスコミの理想である「公平」「中立」だと思います。こういう「考えさせる」問題は、こっちが正しいと言った時点で、私は「教育」ではなく、思想の誘導になるのだと思います。
 
実は私も朝日を読ませることには少々の躊躇がありました(笑) だからって、産経などは読んだことはありませんし、読売は取ってるけど折込チラシとのバーターだし(笑)、志望していた人間であるがゆえに、新聞なんてものに期待をしなくなってしまっていた…と言うのが正直なところだったのです。

ですが、今日。
日曜日の「天声こども語」を読みました。
戦後70年の話。あの時の戦争の話。ああ、やっぱり朝日だから、戦争法案を通そうとしている安部総理をみんなで批判しましょう…的な結論なのかな?と思っていたら、こうありました。

「今年は戦後70年ということで、いつにも増して戦争の話題がにぎやかです。国会でも戦争と関係のある安全保障法案の審議が続いています。日本が再び戦争をすると、今の時代は戦前になります。戦後がいつまでも続くよう、平和の大切さを考えてみましょう」

まぁ、大人ならばある程度「朝日っぽいなぁ」と思うでしょうが、私はこの結論であれば、「バランス」を意識してるなぁ(それでも偏りはあるけど)と思いました。ちょっと見直しました。

そう。

「考えてみましょう」これが大事なんですよね。真っ白な子どもたちに、教育者として対峙するときは、こちらが望む答えを期待して誘導するのはダメでしょう。数学とか理科とか、答えが分かっているものではなく、考えさせたい問題ならなおさら。
 
「考えてみましょう」

筑紫哲也さんがニュース23をやっていた際に、「多事争論」でコメントする際、必ず「~ですが、みなさんはどうお考えですか?」とまとめていました。
 
そうなんです。みんなそれぞれの考えがあっていい。それを、私の考えと違うから否定するようなことを、子どもにはしないようにしようと改めて思いました。
 
講習中も連日作文の時間があります。今年の子は作文を書くことに苦戦している子が多くいます。作文の意味をよく捉えられていない子もいます。そんな真っ白な子が多いのです。その子達が最初に出会う知識というものはとても大きな影響を与えることになりますし、それが「塾長に習った」ということであれば、とても大きな責任を感じます。ゆえに、偏ってはいけないというのがとても大きな命題として私には存在しているのです。

果たして、学校の先生や、ほかの大人がそんなふうに考えてくれているのかは少々疑問です。どうしてもその人が信じたいこと、信じていることを語ってしまうでしょうし、相手を染めたくなるでしょう。これは人間ならば致し方ないことです。

もちろん私だって、個人的な考えはあります。こうだと思うというところもあります。
しかし、それをきちんと個人的なものは別個だと考えて切り離し、ちゃんと多面的に子供達の前に「考える材料」を並べてあげられるか、それが優れた教師であるかどうかだと思うのです。

この天声こども語の内容についても、
「戦争はしたらダメだよね…」
という、子どもでもわかるこ とだけでなく、
「戦争をしなきゃいけない時もあるんだろうか?」
という疑問を子どもたちに、勇気を持って投げかけられるか? じゃないかと思うのです。
子どもからは、いろんな意見が出てきます。ダメだという子もいれば、必要な時が来るんじゃないかと言い出す子もいます。

「戦争するなんて、お前の考えはダメな考えだ!間違ってる!」
と言ってしまったら、もう子どもたちは多面的に物事を考えることができません。大人が求める「正しい答え」を探り始めて、思考は停止します。その考えを「どうしてそう思ったの?」と深く掘り下げられるか、いろんな矛盾点や逆に優れた点を一つ一つ提示したり検討したりしながら、本人に考えさせていく、それが思想教育になってしまったら、ダメなんです。

今の子供達は、結構「親が求める正解」を知りたがります。これだけ「考える力」が求められ、新しい教育が実施されているにもかかわらず、結局以前よりも「大人が求める正解」は何なんだ?とイラついている小学生は多いものです。それは、ちょっと偏った大人が多いんじゃないのかな?と思うのです。子どもが考えた答えを、「それは違う!」と言ってしまう大人が。でも、その人の考えは、多々ある考えの一つでしかないわけです。自分が真理を掴んでいると思うのは、もう奢りか狂信でしかありません。教える方も、「自分の考えは、 自分にとって都合のいい、信じたい考えでしかない」ことを自覚すべきでしょう。

ゆえに、公正中立。子どもが「表」を見ていれば、「裏もあるよ?」と提示できることが重要だと、私は思っています。

長くなりましたが、そんなことで、桜学舎では一つの考える材料として新聞を読ませ、考えることを促すようにしています。お答えになっているかなぁ?(笑)

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