【書評】間抜けの構造

「KY」という言葉がほぼ死語になりつつあります。
「空気が読めない」というKYですが、日本人はこの「空気を読む」ということを、良い意味でも悪い意味でもとても重要視しているものです。

良い意味で言えば、周囲に気を遣い、その場に合った発言をしたり行動を取ったりすること、悪い意味では他人の顔色ばかりを窺っている狭量な人間のたとえに使われます。いずれにせよ、空気を読める人間、イコール「大人」だととらえる風潮が我が国には存在します。

これと似たものに「間」があります。この「間」が悪い人間というのは、どうもどんな場所においても成功しないことが多いものです。だから、「間」の取り方次第で人間関係も仕事も上手くいくように変えていくことが出来るのだと思います。

このところ、老若男女営業の方とお話をする機会が立て続けにありましたが、面白いもので皆さん会話の「間」の取り方が違いますね。実は、ひとつ今後契約をしようと思ったものがあるのですが、これは営業さんとの話の「間」がとても合って、その内容が私にスッと入ってきたものです。うまい具合に理解が出来、タイミングよく説明が入るので、物事はトントン拍子に進みました。

しかし、そのあとに来た方は、どうも私の要望に応えられるような説明が出来ません。「間」が悪いというか、「それをプレゼンしに来たんじゃないのかよ?」と思うような感じで、「また何かあったらね…」という話になってしまいました。

最近特に思うのは、お年を召した営業の方との「間」が合わないこと。私もどうも「若い」と言える年齢ではなくなってしまいましたが、ふだん若者と接しているからなのか、年配の方の話のペースにイライラすることが多々あります。特にPC関係の話題になると、私の方に分があることが多く、一生懸命説明してくれるのですが、「それって要するに○○のことでしょ?」と言うと、「そうです、そうです」なんてことになり、下手をすると逆に「○○っていうんですか?」なんて聞かれてしまったりすることがあります。

その点、20代の若者の方が話は速いし、適確に私の言わんとすることも理解しているし、余計な話が少なくて仕事が進みます。

オッサンが来てしまうと、まず「どうですか、景気は…」なんていう世間話から始まって、頃合いを見計らって本題が出てきますが、大切な部分(料金とか契約とか)の話はこっちから催促しないと出してこない… などと、ちょっとイライラすることがあったり、逆に突然入ってきて、挨拶もそこそこに言いたいことだけまくし立てて、「全部任せろ」的なことを言って私とぶつかることがあったり、いろいろダメなことがあります。一体それは何なのかなぁ…と思っていましたが、ははぁ、これだな… と思うのが、やはりこの「間」なのです。

「間が悪い」人というのは、ある意味で他人に対する「他者意識」が低い、または欠如している人です。他人はこう思うだろう、バックグラウンドが無い人にはこう説明しないと分からないだろうと、人は色々想像し、シミュレーションして生きていますが、それが無いと本当に「間が悪い」ことになってしまいます。

それが極端になると「間抜け」ということになります。間抜けな人は、数多くの失敗を重ねますし、笑って済まされない場合も出来てきます。やはり「間」の取り方でいろんなものが変わってしまうのです。

私たちが一番「間」を考えるのは、「叱る」時です。生徒を叱るというのはとても難しいことで、単純に悪いことをしたから叱る…ではうまくいかないことが多々あります。桜学舎にはA4用紙23ページにも渡りビッチリ書かれた「スタッフマニュアル」が存在します(全部私が書いたものです)。全講師はまず研修中にこのマニュアルの読み合わせを行います。ここが他塾講師と全く違う部分ですし、研修1回目にして恐れをなしてやめていく大学生も結構います。そのマニュアルの中に、「生徒の叱り方」という項がありますが、それでも結論としては、「講師が叱らずに、塾長・副塾長・教室長等に報告すること」となっています。それほど、「間」の取り方に失敗すると全然効果が無いものになってしまうのです。

例えば、宿題を忘れた子。講師から報告があり、それですぐに「ちょっと来い」とお説教をしても、これはあまり効果が無いですね。「1回忘れたくらいで…」と生徒もふてくされてしまいます。「珍しいじゃん… どした?」なんて声をかけて、特に問題がないようなら責めることはありません。

しかし、二度三度とやり始めた時、私たちは「叱るチャンス」を伺っています。どのタイミングで叱ろうかなぁ…と。そして、その生徒が「地雷を踏む」のを待っています。こういう子は必ず何かしら「地雷を踏む」ので、その時がチャンス。なぜなら、叱られる明確な理由、言い逃れできない明確な理由があるからです。このチャンスを逃したら、またしばらくその子を修正する機会はなくなってしまうのです。

このチャンスも一種の「間」です。「間」が全てです。「間が悪」く、生徒が反抗したりしたらもう効果ゼロです。それは残念ながらピンポイントで生徒とお付き合いをしている講師では見誤ることもあります。ですから、日常的にお付き合いをしている我々の仕事なのだと思います。

日本人は「空気」「間」といった、外国人にはよく分からないものを大切にしています。これは他所に逃げることが出来ない狭い「世間」で生きる「島国」の国民の、上手に生きる知恵でもあります。ある意味では、「他人への気遣い」でもあるし、だからこそ日本の「サービス」がスゴイと言われるのでしょう。

子どもとの生活の中で、ちょっとした「間」を意識してみると、意外な盲点に気づくかもしれません。そんな「気づき」のための1冊。とても面白い読み物でした。

【間抜けの構造】ビートたけし/新潮新書/¥ 714

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