競争させない大人を信じるな

 「今日、クラスの子に睨まれて…」
と、ある子が。
 「睨み返せばいいじゃん」
と私。
 「でも、その子、クラスの権力者で…」

 何?その権力者って? たかがガキでしょ?(笑) 家が地元の有力者とか? 
 

 さて。今、学校のクラスや中学生・高校生の友人関係の中でいちばん威張っている人間は、どんな子だと思いますか?

 昔なら、「ジャイアン」でした(笑) 体が大きくて、力が強い。乱暴者。でも、お母さんには弱くて、心優しいところもある。こういう子っていましたね。ところが、今は人望がどうであれ、実力がどうであれ、ただ「声が大きい子」がいちばん威張っています。そして、「不機嫌な子」が威張っているのです。

 塾でもかつて何人も見かけたことがありますし、家庭内でも同様のことが言えます。誰かが不機嫌になれば、場の空気が悪くなります。すると皆が気を使う。したがって、その場の主導権を握れるわけですから、不機嫌になったものが勝ち。

 「マジありえねー」「ざけんなよ」「はぁぁぁ~?」「むかつくんですけどー」 こういう言葉が先制パンチとなり、あっという間に場の主導権が獲得できます。

 本来であれば大人が、

「てめー、誰に口利いてんだ、コラッ」

と、こんな奴はぶっ潰せばいいのです。むしろ、こんな口を利いた奴は「調子こいてる」と、逆にターゲットになったものです。あ、もちろん桜学舎ではこういうことになりますから、絶対にこんな口の利き方をする子はいませんが(笑)

 で、その原因は何かと言うと、理不尽なまでの子どもの「平等化」なんですね。ある県では、学級委員というものを置きません。なぜか? 「生徒の序列化に繋がる」んだそうです。運動会でも順位をつけなかったり、リレーでは全員手をつないでゴールするとか。バカバカしくて、一般社会の人間から見れば呆れてしまうようなことも、学校社会、特に公立学校の社会では「これが常識」として平然と行われています。

 そして、自由と個性と権利ばかりを子どもに教え込む方がいます。よく私が例に出して笑われますが、「世界にひとつだけの花」を陶酔したように歌うような方… 人は皆平等なのよ~ みんな今のままでステキなのよ~ ナンバーワンにならなくてもいいのよ~ もともと特別なオンリーワンなんのよ~ なんて… なわけないだろっ!(笑)

 子どもにとって大事なのは、「自由と勝手は違う」「権利を行使するにはまず義務を果たせ」「個性は自分の歴史がつくるものだ」ということを徹底して大人が教えることじゃないかと思っています。

 大人が教えることが、一般社会はおろか、子ども社会の実態からもかけ離れてしまうと、当然歪みが生まれます。だって、子どもは競って大きくなり、競争することは好きなんですもの。もちろん、その競争の中に入れない子、競走が苦手な子もいますが、そこをフォローするのが「個性」であり、生き方の多様性を認めるということでもあります。最初から「何でもいい」「やらなくていい」「そのままでいい」という話ではないのです。

 結局、競争させないから、競争したい子達が騒ぎ出し、平等だと教えるものだから、その息苦しい平等感から抜け出すために「差別」が起きます。グループ化、イジメ、授業妨害… これらもその一端なのではないでしょうかね。だから、実力や人望は関係なし。大声で暴れる子が頭角を現し、不機嫌な人間が場を仕切る。「ざけんな」「むかつく」が共通言語になるわけです。

 

 子どもの頃に競争をさせないのは、社会に出てから使い物にならない大人になるという弊害が非常に大きいものです。ゆえに、適度な競争すらさせない大人は、どうなのかなぁ?と思います。

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