躾とは

 子どもの頃、短期間ですが水泳教室に通いました。ビート板を使って泳いだりした記憶がありますから、相当小さい頃のことです。母は高校時代水泳が得意だったそうで、その水泳教室も母子参加だったように記憶しています。ただ、上手く行かなかったのでしょう、私はすぐに「行きたくない」と言い出しました。その時、ゴネる私を母は、「他人にものを習うのに、楽しくて楽チンだなんてあるもんか!」と叱りました。鮮明に覚えています。「そうか、他人にものを習うのだから、少々キツいことはあるんだな…」 腑に落ちたというのでしょうか、ものすごく納得したのを覚えているのです。

 時代は変わって、「お子様」の扱いを受けるようになりました。電車内でも、以前は「子どもは立っとけ!」というのが常識でしたが、先日お婆ちゃんが子ども達に「そこへ座らせてもらいなさい」と言っているのを見て、頭を抱えてしまいました(笑)

 しかし、お子様扱いされた子どもが、最近社会で「使い物にならない」と評され始めています。「ゆとりくん」に代表される、勘違いした教育を受けてきた若い世代が、我々が考える以上に社会進出してきているのだそうです。

 上司に、「こんな仕事をしに来たのではない」などと平気で言ってしまう新入社員。いや、待て待て…と思うのですが、企画を希望しているのだから、営業はやりたくない… そんなふうに考える若い子が多いと、ある会社の方に嘆かれました。「今の子って、みんなこんなですか?」と聞かれたのです。

 ある中高の校長先生が、某誌に寄せたインタビュー記事でこんなことをおっしゃっていました。「親御さんは、是非しっかり『躾』をして下さい。『躾』というのは、あれをしろ、これはしちゃダメということではありません。『我慢』を教えるということ。是非、『我慢』することを覚えさせてください」

 「先生の先生」と言われるその校長。さすがです。ビシッと今の子の問題点を言い表しているように思います。確かに、今の子に足りないのは「我慢」です。我慢しなくてもいい時代になったという子とでもあるのでしょう。私たちの頃から比べたら、子どもの数は1/3ですし、全体に自分が合わせるというより、個別に対応してもらえることの方が増えました。「他人に合わせなきゃいけないなんてバカバカしい」「自分がやりたいようにやるのが当然」そういう環境に育ってくるからこそ起きる「小1問題」だったり「学級崩壊」なのかも知れません。

 何でもかんでも自分を押し殺して我慢しろというわけではありません。「喋りたいけど、今は我慢」「ギャグを言いたいけど我慢」「遊びたいけど我慢」という、人間にとって当然の我慢。我慢が嫌なら、「自制」と言ってもいいでしょうか。今、自分をコントロール出来ない子どもが増えているのは事実です。授業中なのにトイレに立つのもそう。これはオシッコを我慢するということではないのです。休み時間にトイレにいっておけばいいのに、友達と話したり遊んだりすることが「我慢」出来ないのです。結果、授業中にトイレに立つ… その他にも、喋りたければ喋り、興味の無い授業内容だとお絵かきをし、説明は聞けないけど、問題を解くのは好き… これじゃ、学習や社会生活の基本が成り立ちません。資格試験の勉強が出来ない大人、会議で話を聞けない大人… なるほど、使い物にならず、また成長スピードもノロいわけです…

 本能のまま、欲望のままに動いているのでは動物と一緒です。そこを「我慢」「自制」する能力があったからこそ人間は他の動物と異なる発達をしたのです。「自由」という名の「放置」ではまず子どもは育ちません。学習するには、「多少の苦痛」が伴うことはとうぜんあるでしょう。それを織り込み済みで適度に強弱を付けながら進めていけるのも、人間の大切な「能力」です。

 自分の立場や目標・目的、置かれている状況をよく考えて、いわゆる「空気を読ん」で行動が出来ることも大切なこと。つまり、やりたいことは何でもやるのではなく、多少「我慢」「自制」して、大きな成長を得るということも大切なことです。
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