友達自慢

 よく、「オレの友達にはこんな有名人がいる」「こんな人と知り合いだ」などということを自慢する人がいます。単に知り合いになっただけで自慢していたり、こっちは知っているけれども向こうは覚えてもいない…などという場合は非常に虚しい行為ですが、学生時代の、「同じ釜の飯を食った」友人の自慢は意味あいが違います。

 友達のことを自慢できるかどうかは、自分の充実度を示しているとも言えます。自分の現状が悪かったり、立ち行かないような状態である人は、他人の幸せや頑張りを素直に喜べないでしょう。つまり、「友達の自慢なんて虚しい…」と思う人は、それがそっくりそのまま自分の姿の投影であるということに気付いていないのです。己に自信があるからこそ、有名になった、立派になった友人を誇ることが出来るのです。

 よく、『同窓会には現状がしっかりとしている人しか出て来られない』と言いますが、確かに確かに。他人はそんなふうに思っていないのに、何だか引け目を感じて、そういう場には出てこられない人もいるものです。

 同じことで、自分がしっかりしていれば、「自慢の友人」を誇ることも違和感はありませんし、虚しくもありません。自分が引け目を感じることが一番の「虚しさ」の原因なのです。

 大卒のいいところは、人間が実にバラエティに富んでいるところだと言われたことがあります。よく、「大学になんて行っても、何の技術も身につかない」とか、「役に立たない勉強をしている」などと言う親御さんがいます。「やることが決まっていないのに大学など行っても仕方が無い」などという声もよく聞きます。しかし、大学は職業訓練校ではありませんから、学んだことが職業には直結しません。ゆえに、多岐に渡るのです。

 私の友人・先輩・後輩も、学校教師もいれば塾教師もいますし、銀行員、レストラン経営者、大手企業の海外勤務、セキュリティ会社勤務、IT企業、そして歌手!(笑)と音楽プロデューサー、先輩では日本を代表する大手企業勤務から、作詞家、後輩では警視庁勤務、税理士、パチンコライター、TV局勤務、構成作家、マスコミ、飲料メーカー、SOHOで起業…、保育士など、本当にバラエティ豊か。ですから、何か仕事上で困った時などは、電話一本で「久しぶりに会わない?」となることもありますし、そこで仕事になることも、助けてもらうこともあります。「持つべきものは友」を地で行くことになります。実際に、当塾の経理も私の大学の後輩の税理士にお願いしていますし、やれインフルエンザだ!となれば、セキュリティ会社の友人に相談しました。同業ばかりの中では、なかなかこうはいかないのだと聞くことが多々あります。

 「良質な友人の数がその人を決める」とも言えそうです。ゆえに、より良い友人にめぐり合うために、より良い学校へ行こうとするのは当然のことです。尊敬できる友人、自慢できる友人を得るために行くと言っても過言ではありません。自分の知らないことをたくさん知っている友人や、自分よりもはるかに努力している友人、すぐれた才能を持っている友人、そういう友人に囲まれてこそ、人は大きく成長するのではないでしょうか。

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