センター日本史

本日、大学入試センター試験が実施されました。英国社の3科目ですが、今年は気になるのが日本史。英国は他の講師も教えていますが、日本史ばかりは私だけ。そこで、ちょっと覗いてみました。

第1問
古代行政区画の問題でしたが、いきなり面食らった子がいるかもしれません。

1 陸奥・出羽に作られたのは「城柵」です。「水城」は白村江の戦いに敗れた後、大宰府の北に作られた堤防ですので間違い。また、七道はその時代の重要な幹線道路でもありました。南海道は七道に入っていません。 正解は2。

2 2の衛士は宮門の警備にあたり、諸国の軍団の兵士のうち交代で上京し職務に当たっていました。薩摩にはいません。3の市司は左右京職の下につく職で、七道諸国にはいませんでした。4の近江国は東山道の最西端。東海道は間違いです。正解は1。

3 1は14世紀中ごろに北山・南山・中山の3つの王国があったのを15世紀に尚氏が沖縄を統一したので、誤り。2はそもそも蝦夷地は続縄文文化ですから、貝塚文化は明らかな間違い。4は1609年に琉球王国は島津氏に服属していますのでおかしな記述です。正解は3です。松前藩はアイヌとの交易権を上級藩士に知行として与えていた「商場知行制(あきないばちぎょうせい)」をとっていました。後にこれは「場所請負制」に変わっていきます。

4 1は「関東地方のみ」というところは×。2は改易・転封・減封がありましたので誤り。3の関東取締役は関八州全てを見回っていましたので、正解は4です。

5 三新法とは、「郡区町村編成法」「府県会規則」「地方税規則」の3つです。戸籍は入りませんので、正解は1。

6 Xのモッセが曲者ですが、モッセは伊藤博文がドイツに憲法を学びに行った際に教授した法学者。後に来日し、明治憲法制定や市町村制などの地方自治制度の策定に尽力した人です。正解は1。

問題2 弥生時代の問題。意外に盲点だった人も?

7 aの「食料採取はほとんど行われなくなった」は言いすぎ。cの鉄製農具や武具が副葬品として出土するのは、古墳時代中期以降の話ですから、時代がズレていますね。正解は4。

8 史料問題ですから、チェックしている人は一発ですが、2は高句麗好太王碑文の誤り、3のアニミズムは縄文時代、4の朝鮮式山城が築かれたのは白村江の戦い敗戦後の話です。正解は1。

ここから律令国家の問題。

9 これは覚えていれば出来ます。計帳は毎年作られ、稲を利子をつけて貸し出すことは「出挙(すいこ)」と言いましたね。ちなみに6年ごとに作るのは戸籍です。賃租は、班給後の余剰田(乗田)を1年限定で貸し出す制度を言います。賃料を地子といい、春に地子先払いするのを「賃」、秋に後払いするのを「租」と言いました。正解は4。

10 Ⅰは803年、Ⅱは741年。Ⅲは平城京時代の話ですから、順番どおりに並べましょう。正解は6。

11 墾田永年私財の法が道鏡政権時に一度ストップしましたが、772年に復活。制限もなくなってしまったことにより、初期荘園が発達しました。8~9世紀の話ですので、3が正解です。

12 梁塵秘抄の記述は正解なので、答えは1か2。田楽が村の祭礼に使われたかを考えるしかありません。田楽は祭礼神事の芸能ですから、村の祭礼に使われるかなぁ? 正解は2。

13 1は荘園や国衙領にも置かれましたので×。2の「大犯三か条」は守護の権限。3の新補率法は承久の乱以後に定められましたから頼朝はおかしいですね。正解は4。

14 Xは比企能員の乱後、頼家は修善寺に幽閉され、その後殺されました。Y北条義時は和田義盛を滅ぼし、侍所別当を兼任していましたので、両方とも正しい。正解は1。

15 aは「大田文」についての記述、dは「永仁の徳政令」についての記述です。御成敗式目は御家人の裁判法であることを考えておけば、おのずと正解が残ります。正解は3。

16 これは間違えないで欲しい! 中国船に乗って種子島に漂着し、鉄砲を伝えたのはポルトガル人、ザビエルは鹿児島に来航しました。正解は2。

17 これまた基本。天正遣欧使節は大村純忠・有馬晴信・大友義鎮らの賛同で送られました。伊東マンショ・千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルチノが教皇グレゴリウス13世に謁見しました。また来日した宣教師は、コレジオやセミナリオを建てましたから、正解は1。

18 これは図版の問題なので、また後で。正解は3。

問4は江戸の問題。

19 江戸の商業の中心地は日本橋。東京の受験生は出来なきゃいけません。ちなみに堂島は大阪の米市が栄えた場所。林子平は何と私の授業で何度もチェックしました!海国兵談! 「戊戌夢物語(ぼじゅつゆめものがたり)は高野長英の書で、モリソン号事件を批判したものです。正解は1。

20 江戸城の無血開城は有名な話ですね。勝海舟と西郷隆盛の会見、徳川慶喜の従順さが決め手になりましたが、実は慶喜はうまく乗せられてしまったのだという話もあります(笑) 正解は4。

21 寛政の改革で「七部金積立制」がなされ、基金や災害に備え、町費の7割を積み立てる制度がありました。正解は3。

22 これも何と、鈴木牧之(すずきぼくし)の「北越雪譜」 私の授業で扱っていた作品からの出題です! ここは史料読解の問題なので出来るはず。史料文中に「雪中に籠居婦女等が手を空しくせざるのみの活業也」とあるので、答えはここが根拠となり3。

23 これも授業で細かく解説しました。問屋制家内工業ではなく、みんなで集まって工場で働いているので、工場制手工業(マニュファクチュア)というやつです。正解は4。

24 1770~1842年。寛政の改革が1787~93年ですから、このあたりをターゲットにしておけばOKです。洒落本作家の山東京伝は、清廉な松平定信の寛政の改革の際に処罰されました。また朱子学以外の学問を禁じた「寛政異学の禁」もこの時代。湯島の聖堂学問所が出てくれば、寛政期です。ちなみに紫衣事件は1627~29年、女歌舞伎が禁止されたのは元禄・寛永のあたり。正解は1。

問5 護憲運動の問題。

25 これは出来て欲しい問題です。普通選挙法が成立したのは加藤高明内閣。原敬内閣は初の本格的政党内閣として有名です。普通選挙法が「アメ」だとすれば、「ムチ」は「治安維持法」でした。正解は1。

26 日本発の社会主義政党「社会民主党」が出来たのが1901年。2日後に結社を禁じられました。第二次護憲運動は普通選挙法成立・加藤高明内閣。1924年。選挙権の納税資格が3円以上の直接国税になったのは原敬内閣ですから加藤の一つ手前。正解は2となります。

27 さて、ここはなかなかの難問。大阪事件で投獄されたのは、景山英子です。「妾の半生涯」という作品の作家でもありました。さらに、甘粕事件で甘粕正彦大尉に連行され、内縁の夫・大杉栄と共に殺害されたのは伊藤野枝です。こちらも重要。正解は2。

28 Xの国家神道が迫害を受けるという記述が誤り。その後の戦争や皇民化政策に国家神道が利用されていくのですから、すぐに気付くはず。人民戦線事件では、大内兵衛のほか、美濃部亮吉、有沢広己らが検挙されましたが、これは第2次の人民戦線事件です。正解は3。

問6は幣原喜重郎の人物史。

29 Xはシベリア出兵についての記述。1918年、ロシア革命に干渉する目的で、英米仏日軍がウラジオストックに集結、1920年まで出兵しましたが、日本だけは1922年まで出兵しました。多大な被害を蒙りました。Yは、米価は売り惜しみが激しくなり、上昇。困窮したのは主婦であり、富山県を中心として「米騒動」が起きました。正解は2。

30 Ⅰは1928年のパリ・不戦条約の記述。Ⅱは1930年のロンドン海軍軍縮会議の記述、Ⅲは1922年のワシントン海軍軍縮会議の内容ですから、答えは5ということになります。

31 史料読解問題。普通選挙法が成立した1925年を境に、数字を見ていけばいいわけです。小作争議は、大衆行動はありましたが、個々の争議が大規模化するという記述は間違いです。正解は2。

32 1は誤り。2の山東出兵の際の外相は内閣総理大臣田中義一が兼任しています。4の大東亜会議は1943年。協調外交を進めていた幣原とは異なる軍政時代ですから誤りに気付くでしょう。正解は3。

33 Ⅰは1937年の南京事件の記述。あえて「大虐殺」とは言いませんが、例の事件です。Ⅱは1932年のリットン調査団。満州事変の調査に入りましたから、戦後関係を考えましょう。Ⅲは張作霖爆殺事件。1928年のことですから、正解は6です。

34 戦後、修身教育は停止されました。教育勅語の奉読や、日本歴史・地理の授業も停止されました。修身導入は真逆ですから、正解は4。

35 Xは戦後の闇市を考えれば分かります。闇市では、公定価格を無視した闇取引が公然となされていたのです(だから闇市なのです)から、配給・公定価格は継続されていたと考えるべきでしょう。金融緊急措置令で国民の預金は一時凍結され、新円切替が行われました。正解は3。

36 1小笠原返還が決まったのは、1967年・ワシントンでの「佐藤・ジョンソン会談」です。2警察予備隊が作られたきっかけは朝鮮戦争です。3サンフランシスコ講和会議には、中華人民共和国と中華民国は招待されず、インド・ビルマ・ユーゴスラビアは欠席。ソ連・チェコスロバキア・ポーランドは調印を拒否しました。正解は3です。
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で、私が教えている生徒には、実は前日に2003年度の日本史問題を渡してありました。本当であれば解説授業までやりたかったのですが、本人が帰ってしまったので、もしそれをやっていれば、かなり2003年の問題と被っている(もしくは解説で話そうとしていた)ものが多かったように思います。

●甘粕事件:亀戸事件とセットで解説する予定でした。大杉栄と伊藤野枝はチェックしていたはず…
●人民戦線事件:2003年の問題では、美濃部亮吉について出題されていました。
●海国兵談:林子平はかなりチェックしました
●関東取締役:また出たな!という感じ。

さらには、沖縄史・アイヌ史・女性史という、テーマ史の王道を行く問題のオンパレードですから、かなりウハウハな人もいたのではないでしょうか。

ただし、伊藤野枝が出てきたり、大田文が出てきたりと、確かに有名ではあるんだが…という、ちょっとマニアックな問題もあるのは事実なので、「センターは基礎ばかり」「センター試験は簡単だ」などと安易に言うことは出来ません。

正攻法でしっかり勉強してある人がしっかり点数を取れるのではないでしょうか? 河合塾の講評によると、やや難化しているようなので、若干平均点が下がるかも知れません。あまり気にせず、また入試で出会ったら今度は取れるようにと、しっかり復習をしておきましょう!

私も解いていて疲れました!

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  6. 4・4・4

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