戦時中のリアルな記録

戦後80年です。
先日亡くなった父は、昭和4年生まれ。
16歳で終戦を迎えていますが、その1年前・戦中に母(=私の祖母)を亡くし、戦後2年、昭和22年に父(=私の祖父)を亡くしています。

ゆえに、温かな家庭をあまり経験することなく、また幼少〜青春期に戦争を経験しています。その頃の記憶はかなり強烈らしく、また若くして両親が他界したことはかなり悲しい記憶だったのだろうと思いますが、当時の話はあまりしてくれない父でした。

私も、かなりの放蕩息子だったので、父の期待には何一つ応えることもなく(笑)、好き勝手に生きてきたのは母方の血だろうと思っていました。

昨日。
父の葬儀を終えてから初めて実家に帰りました。父の遺品や大量の書籍をどうするか、片付けをするためにも。すると、退職後に父が描き溜めていた絵や、専用の原稿用紙に書いた文章が大量に出てきました。

「オレはいいんだよ!」
と、実家で両親の面倒を見ていた弟は言うので、これは読んでいくのはオレの仕事かなと思っていろいろ探りました。

すると、小さなスケッチブックが出てきて、父の子供の頃の記憶を描いた絵と、裏にはその記憶の文章が残されていました。

東京渋谷生まれ恵比寿近くに住んでいた父は、のちに中野に。
父の文章には、当たり前のように高射砲とかB-29という言葉が出てきます。

父は家を焼け出された経験があったのです。しかも一晩父とはぐれ、翌朝会えた安堵感はいかほどだったでしょうか。

記憶の中の話なので、一体どれほどの正確性があるかはわかりませんが、強烈な当時の印象と、焼きついた記憶。戦争の恐ろしさ、体験の強烈さは伝わってきます。辛い経験をたくさんしたんだなぁと思うと、涙が出てきます。

勤労動員されたなんて、聞いたことがありませんでした。本当に何にも教えてくれなかったなぁ… 語ることも辛い時期があったのかもしれません。お酒を飲まない人だったので、昔話をしてくれる機会もほとんどなかったのです。

1冊目のスケッチブックの最後にあったのは、「父との訣れ」でした。
昭和19年に母を亡くし、22年に父を亡くしていますが、その父とは、東武浅草駅で見送ったのが今生の別れになってしまったそうです。

蔵前国技館に連れて行かれたのも母との貴重な思い出だという絵もありました。その蔵前あたりで息子=私がウロウロ飲み歩いてるのも、何か繋がっていたのかなぁ…

そして、息子は今、浅草の近く・台東区に住み、仕事をしている。
何とも不思議な導きを感じます。もう、東武浅草行ったら泣いちゃうじゃん。

「怒る母」という絵の裏に、こう書いてありました。

「老人となる前にこの世を去った父よ、母よ。ボクは妻と成人した子供二人と共に、今、老人として生きています。」

老人となった当時も、やっぱり父母のことを思い出して涙していたことがあったのだろうと思います。両親を失い、後ろ盾を失っても、頑張って兄弟の中で唯一大学まで出て、宇都宮学園・千葉県立天羽、佐倉、千葉東と経て、渋谷教育学園幕張で75歳まで教壇に立ち続けた父。頑張った姿を、やっぱり父母には見て欲しかったのだろうと思いますし、ずっと父母が胸の中にいたのだと思います。

信者でないにせよ、教会やらミッション系の学校を経験させたがったのも、躾は比較的厳しかったのも、そしてフラットで差別や人の上下を嫌うように教育されたのも、読み返してみると父が幼い頃に父母から受けた教育の影響が強かったことが見て取れます。

父は晩年まで、私の高校時代のジャージを部屋着にしていました。40年も前のパンツ。膝やお尻はボロボロで穴が空き、汚れも目立って「いい加減にしてよ」と言われても、これだけは頑として譲らず、大事に身につけていました。

愛すべき母校・明治学院の伝統的なMGマークが入っていたからでしょう。私が唯一、父にしてやれた親孝行は、明治学院高校へ入学したことくらい。今の明治学院大学のマークは、佐藤可士和氏のデザインによる新しいもの。そうではなく、このMGマークが高校も東村山も含めて、明学生が全員知っている伝統の校章。

両親を亡くしてすぐに入学した明治学院で、これからは英語の時代だと必死で勉強した学生時代。生きるために必死だったのかもしれませんし、悲しみから離れて勉強に没入できる時間だったのかもしれません。

孝行したい時に親はなし。

いろいろ振り返ってみれば、弟はどうかわかりませんが、私はかなり可愛がってもらった記憶があって、父との思い出は結構あります。幼い頃ですが。中高生以上になると、もう自分で行動するようになってしまったので、家族の思い出は一気に減りますが、結婚してからでも歳とってからでもよかった、もっと一緒の時間を過ごせばよかったと、本当に心から後悔しています。

前の記事にも書きましたが、亡くなる前の父は、別れ際に私たちに必ず「元気でやれよ」と手を振っていました。

もしかしたら、東武浅草駅で、祖父は父に「元気でやれよ」と声をかけたのではないでしょうかね。絵を見ると、電車に乗り込む祖父と見送る父が手を振りあっています。祖父が、

「元気でやれよ」

と言っている気がします。
父も、私たちに同じことを言っていたのかなと思うと、涙が止まりません。

たくさんの記録。
リアルな戦時中の記憶。

戦後80年の大切な記録として、そして父が生きた証として、フォトブックにしてみようと思っています。うまくできるかはわかりませんが、チャレンジしてみます。それが供養になると思います。

しかしね。
こうして駄文を延々と垂れ流すことが出来たり、大量の文章や記録を残していく癖とか、これみんな父の遺伝子なんだなぁとおもったら、血は争えないと思いました。

まだ血は争えないことがいくつもあるのですが、また別の記事にします。

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