【書評】貧乏は正しい!

 どうも昔から私は勘違いされることが多くて困ります。

 若かりし頃、千葉で塾を経営していた私は、ある女性塾長から、幕張新都心の高層マンションで一人暮らしをして、モノトーンでキメた夜景の綺麗な部屋で一人ワインでも飲んでいるのではないかと真顔で言われたことがあります。その当時の私は一軒家の実家暮らしで、お金も無くてピーピー言っていました。一体何を勘違いしたのか…

 白馬に乗った王子かと思ったと言われたこともありましたが(笑)、実際は「ラクダを履いたオヤジ」程度のもので、みんな一体どこをどう見たら勘違いするんだろうかと、本気で疑問に思っていたことがありました。

 今だって、本気で私のことを勘違いしている人は結構いるものです。「いやぁ、お宅はお金持ちだから」と仲間の塾長に言われたことがありますが、果たしてそうでしょうか? マンションのローンもたんまり残ってますし、見えないところに負債はたくさんありますよ。これから来るビルのメンテナンス費用も考えねばならないし、落ち着いて家のことなんて出来やしません。さすがに明日食べるものも心配だ…なんてことはありませんが、そもそも経営者なんてものは、いつ何時どうなるかなど全く分からない不安定な職種。船乗りと同じようなもので、「板の一枚下は地獄」なんて言い方をする方もいます。そんなものです。サラリーマンとはまた別のストレスをたくさん抱えて生きていますから、果たして良かったのか悪かったのか… 豊かなのか貧乏なのかもよく分からないものです。老後ですかね、結果が分かるのは。今はただ、出来ることを全力でやり、無我夢中で前進することだけです。ただそれだけです。

 さて、「貧乏は正しい!」と堂々と言われてしまうと、「そうかな?」なんて思ってしまう天邪鬼な私ですが、いつぞやかもどこかで記したように、恐ろしく貧乏な時期を過ごした経験を持つ私にとっては、「あの頃には戻りたくない」という気持ちが仕事に打ち込むモチベーションの一つになっていることは確かです。

 ただ、では金銭的・経済的に豊かであると「勝ち」なのかというと、これもまた残念ながら違うのだと思います。私が良く知る人物の中にも、経済的にはこの上ない大成功を収めたにもかかわらず、人生で後悔することが沢山あると嘆く方を知っています。

 これは学歴にも言えることで、東大・京大、早慶にでも入っていたら、この世では殺人以外は全て許されるほどの「勝ち組」だなどと豪語してしまう勘違いした人が本当に増えてきているように思います。また、「勉強が命」「大学生なんだから勉強するのが当たり前」などという、何というか、親や社会の敷いたレールにガッチリ乗って離れない、信じて疑わないマジメちゃんが増えているように思います。そういうレールに乗っちゃってひたすら走り続ける人のことを私はひそかに「新幹線ちゃん」と呼んでいるのですが(笑)、レールに乗ってストイックに、事故もなく、寄り道もせずに最速で目的地へ向かうのが新幹線みたいだなぁと思うのです。

 「新幹線ちゃん」は悪いところなど一つもありません。真面目に勉強もするし、一生懸命だし、結果、そこそこ成功もするんでしょう。そして、そういう人もいなければ困るわけで、クソマジメも個性っちゃ個性ですから、認めないわけにはいきません。

 ただ、ハッキリ言って「つまらない奴」「退屈な奴」でしかありません。一緒に飲んでも面白い話も出てこないし、飛びぬけてすごいところも無い。下手をすると、受験勉強の話や授業の話に終始する… 一体、友達や恋人とどんな話をしているのだろうと首をかしげたくなる人もいます。それが結構多くなってきているように感じます。
 最近の若者は(と言い出すと、もうオッサン。終わりだそうですが(笑))、「レールから外れない」ことで必死なようで、「勝ち組」になることが人生の成功であるかのように思っているようです。

 勉強や受験、仕事などであれば、「論理的」な積み重ねで結果を出していくことが出来ますが、残念ながら人間や人生って、そう簡単なものではありません。それは、実は「子育て」をしてみれば、全てを悟れるとよく言われますよね。子どもは親の思った通りには育たないのと同じで、自分自身の人生も、思った通り、計算した通りには進まないものです。経済的に成功しても、寂しい惨めな人生を送る人もいれば、経済的に豊かではないにしても、多くの友人に囲まれて、幸せな家庭に恵まれて、豊かに人生を送る人もいます。

 結果的に、お金はあって困るものでもないし、あった方がいいに決まっていますが、無いからといってどうしてもなくてはならないものでもないようです。

 我が国の社会は、富裕層などと言われる人々は1%に満たないわけで、大多数の人は中流以下の層に属します。富裕層の子どもでも、中流以下の子どもでも、一つ言えることは、「貧乏を経験しろ」ということだと思います。特に、大学生の頃、貧乏であってほしいと私は個人的に思います。

 貧乏であると、人の痛みを知ることが出来る、これがまず第一の理由。貧乏な辛さ、惨めさを感じることで、本当に他人の痛みを知ることが出来ます。人間は丸くなり、人に優しくなれます。それから、お金が無いことで「工夫」を始めます。ここから重要な「生き方」を学ぶ人は多くいます。新幹線なら2時間で帰れる距離を、お金を節約するために各駅停車で1日がかりで帰るなんていうのも貧乏のなせる業です。でも、各駅停車で帰るからこそ、途中駅の魅力や今まで目を向けもしなかったものに気づいたりします。何でもお金で解決できるのは、大人になってからでも遅くはありません。

 やはり、貧乏は正しいのかも知れません。時間はあるけど金が無い若者諸君。貴重な青春時代を過ごすようにね。

【貧乏は正しい!】
橋本治 /小学館文庫/552円

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