都営地下鉄の不思議

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先日、小さな旅に出ました。
高島平(笑)
生れて初めて行きました。別に生徒が受験する高校があるからというわけではないのですが、千葉から引っ越してきて、通いなれた東京も行ったことがないところが多いと思ったので、プチ鉄道オタクの私(笑)としては、現在の目標・東京の鉄道路線全制覇!(うぅぅ、ええ年してからにぃ…) その一環として足を伸ばしてみました。

ちなみに、都営地下鉄というのは、実におかしな路線で、浅草線と大江戸線は線路幅が1435ミリ、三田線は1067ミリ、新宿線は1372ミリ。どれも幅が違うんですが、浅草線は京急・京成との乗り入れの関係で、三田線は東武との乗り入れ計画があったため、新宿線は京王線との乗り入れの関係で、みんな線路幅が異なることになってしまったのです。大江戸線は浅草線と同じ幅なのですが、実は大江戸線、鉄輪式のリニア地下鉄。ですから実際は浅草線内では自力走行ができませんし、ホームの高さも全然違います。結局、全部違うと考えてよいようです。なんとも不経済な…

今回乗りに行った三田線、この路線は都電の志村橋~下板橋(志村線)、下板橋~巣鴨車庫前(板橋線)、巣鴨車庫前~白山下(巣鴨線)、白山下~春日町(白山線)、春日町~新常盤橋(水道橋線)、小川町~日比谷公園(神田橋線)、日比谷公園~三田(三田線)、これに、魚藍坂下~目黒駅前が追加されたような線形を持っていて、都電の代替路線としての性格が強いものでした。

東京の地下鉄の中でもかなり初期に開通した路線でもあって、やはりこの当時は…という気付きが一つありました。
それは、志村坂上を出た後。
線路は左に大きくカーブすると共に、一気に表に出たのです。
志村三丁目駅から西高島平までは全て地上(高架)部分。地下鉄とは一瞬思えない、高架電車になるのです。これは、東京メトロ東西線の南砂町~西船橋間とかなり似ています。当時としては、この区間はもう「郊外」という扱いだったのでしょうし、郊外は何も地下にする必要性は無いと考えられていたのでしょう。今では浦和に伸ばされた地下鉄でさえ地下を走るというのに。時代を感じます。

巨大な高島平駅に到着した時は、少々驚きました。ホームが2面、4番線まであるターミナル仕様の駅。最初はココが終点だったから仕方ないのでしょう。後に、新高島平、西高島平と伸延されました。そもそもは和光市方面に伸延され、東武東上線との相互乗り入れが計画されていたそうです。西高島平への伸延もその計画があったからなのですが、何故か頓挫。東武鉄道もいつまで待ってもやって来ない三田線を見限り、有楽町線・副都心線への乗り入れに鞍替え。結局三田線は「独身」を貫くことになるかと思われました。

ところが、縁はこっちではなく、反対側にありました。
三田から先、白金高輪への伸延がなされ、南北線と共用の白金高輪~目黒を経て、東急目黒線(昔の目蒲線の一部)へ乗り入れ、さらにはつい最近目黒線の日吉乗り入れが果たされ、何と日吉~西高島平の相互直通運転が開始されました。一人見放され、どこへも乗り入れが無く、三田と西高島平を行ったり来たりしていただけの三田線も、ようやくこれで日の目を浴びることとなりました。しかも、目黒線と南北線仕様のホームドアが全駅に設置され、超近代化。以前走っていた電車は、今や秩父鉄道や熊本電鉄、そしてインドネシア国鉄で活躍していますが、東武との乗り入れを考えてわざわざ同じ仕様で作った車両が生かされなかったのが残念無念ですね。これも都民の税金だったのかと思うと(笑)

なんて、都営三田線について一生懸命語ったところで、何だといわれれば、ごめんなさいなので、もうやめます(笑)

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